99年の菊花賞を制したナリタトップロードだったが、続く2000年は、テイエムオペラオーを相手に惜敗を続け、JC除外の憂き目にあう。 さらに、必勝を期して挑んだステイヤーズSでも痛恨の4着に敗れ、鞍上を的場にスイッチした有馬記念、京都記念も思うような結果を出せず、 2001年の春には、もはや終わってしまったのかと言う声も囁かれていた。
 それを覆したのは、2001年阪神大賞典での圧倒的なレコードタイムでの勝利だった。後にステイヤーズSを制する前年の菊花賞3着馬エリモブライアン以下を 大差でちぎり捨て、3:2.5という驚異的なタイムを叩きだしたこのレースで、ナリタトップロードは再び輝きを取り戻した。


 2000年度の不振から立ち直り、阪神大賞典のレコード勝ち、苦手な重馬場に耐えて3着した天皇賞を経て挑んだ2001年の京都大賞典。 しかし、直線で暴走したステイゴールドに接触し、まさかの競争中止。
2番人気馬競争中止、3番人気馬失格という最悪の形での大波乱となった。(撮影:真奇)



 2002年の京都記念では、60kgの酷量を背負いつつもマチカネキンノホシとの叩き合いを制して勝利。 有馬記念での大敗から1,2番人気を4歳馬に奪われていたが、99年クラシック世代の底力を見せ付けた。
そして京都大賞典での落馬事故から完全に立ち直った瞬間でもあった。(撮影:真奇)
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